2012.05.14 Monday
アイスコーヒーは日本発祥ですよっと
アメリカの方が
「日本のアイスコーヒーめっちゃ美味い!アメージングだぜ!」
と興奮していますが、アイスコーヒーは日本が発祥です。
ダッチコーヒーや水出しコーヒーというのもありますが、手軽にごくごく飲めるようなアイスコーヒーを編み出したのは日本なんですよね。
この映像に出てくるやり方は、「香りコーヒー」と呼ばれるやり方で熱いドリップを急激に冷やすので香りや旨みを逃さないんです。
スタバなんかはどうやっているかは知りませんが、この「香りコーヒー」は手間いらずで美味しいアイスコーヒーが飲めるやり方です。
これから暑くなりますので是非試してください!
余談ですが、コーヒーミルクって東京の新橋で作られたのが最初です。
ナカザワと言えば業務用でもお馴染みのミルクメーカーですが、開業したときは新橋に牧場があって(!)そこで作り始めたのがスタートなんだそうです。
あの新橋に牧場があったとはにわかには信じがたいですが、これって事実だそうです。
驚きですね。
2012.05.12 Saturday
グリーンカーテンではないけれど…

毎年恒例になりつつあるゴーヤを育て始めました。
今年は種からではなくって、苗を買ってきて本格的に始めてます。
かなり強力な苗のようで、カードも気合入りまくってますw
確かに植えて三日目でこの状態というのはすごいです。
ゴーヤチャンプルー食べ放題とはいかないけれど、美味しく食べられそうな気がします。
最近、沖縄料理に興味があります。
沖縄料理といってもスパムやランチョンミートを使った「戦後の沖縄料理」ではなくって、伝統的なオバァの作るような健康的で野菜たっぷりのやつです。
統計によると成人病率が沖縄でも高くなってきているそうです。
アメリカンな食生活が及ぼす影響は長寿日本一すらもおかしくしているようで嘆かわしい限りです。
野菜と豚肉と昆布を使った当たり前だけど体にいい食生活というのはもう過去の話なのでしょうか?
スパムやランチョンミートはたまに食べると美味しいですが、常食するものではないと思ってます。
戦後の沖縄料理はこれが常食になってしまったので決して長寿食とはいえないのです。
やっぱり沖縄料理に限らず三食を野菜や魚中心にしていきたいものです。
肉はたまにでいいですよ。
2012.05.04 Friday
変わるとき、変われば、変わらざる
最近、「自分の生き方はこれでよいのだろうか?」と自問自答することが多くなりました。
職を失ってからもう随分立ちますが、大して危機感もなく自堕落に一日を消費していたような気がしています。
夏目漱石が言うところの「高等遊民」でもなく、時間を一方的に消費してるだけで何も生産していない日々を過ごすのみ。
確かに楽です。
実家住まいなので食うには困らず寝るにも困りません。
家族とは最小限のコミュニケーションだけで終わります。
それでいいやと思っていたことが急に苦痛になって来ました。
何も生み出さず、朝は遅寝をして特にこれと言って為すわけでもなし。
それが一ヶ月続いて、3ヶ月続いて、半年続いて、1年続くのです。
なんという無為で不毛な生き方でしょう?
コミュニケーションならTwitterやFacebookがある!と思えるのですが、そのソシアルメディアもろくに使ってないのが最近です。
言葉が出てこない。
話題が出てこない。
当たり前ですね、インプットをしてないのですから。
入ってくるものがなければ、出せるものもなくなるのはお金も同じ。
いまこそが「変わるとき」で「変われば」、「変わらざる」ものが得られるかもしれません。
職を失ってからもう随分立ちますが、大して危機感もなく自堕落に一日を消費していたような気がしています。
夏目漱石が言うところの「高等遊民」でもなく、時間を一方的に消費してるだけで何も生産していない日々を過ごすのみ。
確かに楽です。
実家住まいなので食うには困らず寝るにも困りません。
家族とは最小限のコミュニケーションだけで終わります。
それでいいやと思っていたことが急に苦痛になって来ました。
何も生み出さず、朝は遅寝をして特にこれと言って為すわけでもなし。
それが一ヶ月続いて、3ヶ月続いて、半年続いて、1年続くのです。
なんという無為で不毛な生き方でしょう?
コミュニケーションならTwitterやFacebookがある!と思えるのですが、そのソシアルメディアもろくに使ってないのが最近です。
言葉が出てこない。
話題が出てこない。
当たり前ですね、インプットをしてないのですから。
入ってくるものがなければ、出せるものもなくなるのはお金も同じ。
いまこそが「変わるとき」で「変われば」、「変わらざる」ものが得られるかもしれません。
2012.04.23 Monday
すごい珈琲豆を手に入れた!
ICHIGO-ICHIE Coffee(いちごいちえこーひー)さんから注文した珈琲が届きました。
お試し珈琲と僕のリクエストに合わせてブレンドしてくれた珈琲豆がセットです。
ロースターはInttelligentsia。
浅めのローストです。
試しにフレンチプレスで飲んでみましたが、メモには中挽きで熱湯で淹れて下さいと書いてあったのでにわかには信じられず、お作法を守って淹れてしまいました。
なんか味薄い?と思ってましたが後からフルーティーな余韻が口の中に!
どうも味が変わる珈琲らしくて最初は薄いと感じても後から冷める度にどんどん味が変わるのだとか。
とても美味しいので4杯飲みましたが、どれも淹れたてから冷めるまでに味がどんどん変化して非常に美味しいです。
例えば、淹れたてだとちょっと薄めがバターのようなクリーミーな味に変わって、冷めてゆくとチェリーのような味わいが来るという感じです。
成る程、これが「サードウェーブコーヒーか!」とひざを叩いた次第。
確かにホリグチコーヒーの豆も美味しいですが、それとはまた違ったコーヒーだと思いました。
HORIGUCHIの珈琲は日本人の味覚に合ったローストで、Intelligentsiaはグローバルなローストなのだと感じましたね。
無論HORIGUCHIのローストが美味しいと感じる外国の方もいるでしょうし、Intelligentsiaは嫌いという外国の方もいると思います。
然しながら、両者とも「サードウェーブコーヒー」即ち「誰が淹れても美味しい珈琲」を目指しているのは間違いありません。
Starbucksに代表される大規模チェーンからの脱却(悪いとは言いませんが)とはこういう事かと痛感しました。
明日はペーパーで淹れてみてどう味が変化するのかを試したいと思います。
お試し珈琲と僕のリクエストに合わせてブレンドしてくれた珈琲豆がセットです。
ロースターはInttelligentsia。
浅めのローストです。
試しにフレンチプレスで飲んでみましたが、メモには中挽きで熱湯で淹れて下さいと書いてあったのでにわかには信じられず、お作法を守って淹れてしまいました。
なんか味薄い?と思ってましたが後からフルーティーな余韻が口の中に!
どうも味が変わる珈琲らしくて最初は薄いと感じても後から冷める度にどんどん味が変わるのだとか。
とても美味しいので4杯飲みましたが、どれも淹れたてから冷めるまでに味がどんどん変化して非常に美味しいです。
例えば、淹れたてだとちょっと薄めがバターのようなクリーミーな味に変わって、冷めてゆくとチェリーのような味わいが来るという感じです。
成る程、これが「サードウェーブコーヒーか!」とひざを叩いた次第。
確かにホリグチコーヒーの豆も美味しいですが、それとはまた違ったコーヒーだと思いました。
HORIGUCHIの珈琲は日本人の味覚に合ったローストで、Intelligentsiaはグローバルなローストなのだと感じましたね。
無論HORIGUCHIのローストが美味しいと感じる外国の方もいるでしょうし、Intelligentsiaは嫌いという外国の方もいると思います。
然しながら、両者とも「サードウェーブコーヒー」即ち「誰が淹れても美味しい珈琲」を目指しているのは間違いありません。
Starbucksに代表される大規模チェーンからの脱却(悪いとは言いませんが)とはこういう事かと痛感しました。
明日はペーパーで淹れてみてどう味が変化するのかを試したいと思います。
2012.04.21 Saturday
ペーパードリップの奥深さ
ペーパードリップの味が日によって違うので、またもや珈琲工房HORIGUCHIさんへお勉強に行きました。
ゲイシャが日替わり珈琲だったのでそれを注文して、待っている間ドリップの様子を見ていたところ、「こっちに来てみて見ませんか?」と言われました。
珈琲の勉強中だったので喜んで見せて頂きましたが、手早くやっているようで実に丁寧だなと感じました。
湯もドバっと注ぐのではなく、少しづつ注いで少しづつ落とす。
手早くやっているのは手馴れてるからで、実は繊細な仕事なのです。
そう言えば、基本を頭で理解したつもりで毎日ドリップしていましたが、実際は教科書の通りの淹れ方しかしていませんでした。
・やや粗めの中挽きで
・静かに湯を注いで
・湯の温度は92℃
これは教科書に書いてあるやり方。
でも、実際は挽き方もどこまでが「やや粗めの中挽き」なのか?
「静かに湯を注ぐ」の静かの基準は?
「92℃のお湯」はどう判断するのか?
と教科書には書いていなかったり、さらっと書いてあるだけだったりで体感できないことばかりでした。
試しにHORIGUCHIで見たテクニックを愚直に真似したら味が全然違いました。
豆の味が出ています。
教科書で学ぶ事と実際にやってみる事では違いがあることがわかりました。
実際にプロの技を見て、その技を盗む事の大事さというやつです。
完全コピーでなくても力加減ですとか、湯を注ぐタイミングなんかはほぼ再現できますからそれに従えばいいのです。
あとは自分で考えてみたり、匙加減を変えてみたりして自分のドリップを作ればいいのだと思った次第。
ペーパードリップは端的に言えば紙で珈琲を抽出するプアオーバーと呼ばれる単純なやり方ですけど、単純な分テクニックのようなものは幾らでも加えられる技術ですし、テクニックが足りないと味がブレるのです。
豆も良い物を使わないと味が出ません。
なんという奥深さでしょう。
茶道のようなものかもしれません。
高価な道具は必要ではないですが、その分自分の心の鏡のような気がします。
一杯の珈琲にその時の自分の心が映る。
心が雲っていれば味も曇るし、晴れていれば味もクリアになる。
体調が悪ければ味わっても美味しくないし、快調ならいつもよりも美味しく感じる。
心の居住まいが一番反映されるのがペーパードリップだと学んだ日。
ゲイシャが日替わり珈琲だったのでそれを注文して、待っている間ドリップの様子を見ていたところ、「こっちに来てみて見ませんか?」と言われました。
珈琲の勉強中だったので喜んで見せて頂きましたが、手早くやっているようで実に丁寧だなと感じました。
湯もドバっと注ぐのではなく、少しづつ注いで少しづつ落とす。
手早くやっているのは手馴れてるからで、実は繊細な仕事なのです。
そう言えば、基本を頭で理解したつもりで毎日ドリップしていましたが、実際は教科書の通りの淹れ方しかしていませんでした。
・やや粗めの中挽きで
・静かに湯を注いで
・湯の温度は92℃
これは教科書に書いてあるやり方。
でも、実際は挽き方もどこまでが「やや粗めの中挽き」なのか?
「静かに湯を注ぐ」の静かの基準は?
「92℃のお湯」はどう判断するのか?
と教科書には書いていなかったり、さらっと書いてあるだけだったりで体感できないことばかりでした。
試しにHORIGUCHIで見たテクニックを愚直に真似したら味が全然違いました。
豆の味が出ています。
教科書で学ぶ事と実際にやってみる事では違いがあることがわかりました。
実際にプロの技を見て、その技を盗む事の大事さというやつです。
完全コピーでなくても力加減ですとか、湯を注ぐタイミングなんかはほぼ再現できますからそれに従えばいいのです。
あとは自分で考えてみたり、匙加減を変えてみたりして自分のドリップを作ればいいのだと思った次第。
ペーパードリップは端的に言えば紙で珈琲を抽出するプアオーバーと呼ばれる単純なやり方ですけど、単純な分テクニックのようなものは幾らでも加えられる技術ですし、テクニックが足りないと味がブレるのです。
豆も良い物を使わないと味が出ません。
なんという奥深さでしょう。
茶道のようなものかもしれません。
高価な道具は必要ではないですが、その分自分の心の鏡のような気がします。
一杯の珈琲にその時の自分の心が映る。
心が雲っていれば味も曇るし、晴れていれば味もクリアになる。
体調が悪ければ味わっても美味しくないし、快調ならいつもよりも美味しく感じる。
心の居住まいが一番反映されるのがペーパードリップだと学んだ日。
2012.04.17 Tuesday
珈琲豆届く

Coffee Bean BOOBiESさんから注文した珈琲豆が三種類届きました。
ハワイコナEF、ケニアAA、コスタリカVAの3つがレパートリーに加わりました。
何がいいって缶が可愛すぎます!
ゆるキャラで良い感じです。
BRUTUS Casaでも紹介されたそうですよ。
領収書にもゆるキャラが!?
まずハワイコナEFをフレンチプレスで。
すきっとした飲み心地で、嫌味のないクリアな味わい。
プレスでなくて、ペーパーでもこの味わいは出せそうです。
そして先程、ケニアAAをペーパーで飲んでみました。
なんと言うんでしょうか、トロリとした程よいコクとクリーミーさが舌に残るなかなか妖しいお味です(褒めてますw)。
明日はこちらをフレンチプレスで飲んでみたいと思います。
アフリカ系の豆は数種類飲んでいますが、どれも好み。
他の産地が悪いというわけではなく、僕の感性に合った味わいです。
酸が強いわけでもなく、苦味が強いわけでもなく個性的です。
中庸な味わいではないのが気に入りました。
きちんとした豆でドリップした珈琲は眠れなくなるというのがないのも最近気が付きました。
インスタントや、徳用缶で売られているやつだと確実に眠りが悪くなるんですが、それが無いです。
徹夜のお供にはインスタントを飲んでみた方がいいかもしれません。
2012.04.15 Sunday
iPhone4S に機種変更

新宿へ出かけて、iPhone4が不調だったので、思い切って4Sに機種変更しました。
今までがブラックモデルだったので、気分を変えてホワイトモデルを選択。
64GBも容量があると今までの倍になるわけですから相当いろんなものが詰め込めますね。
しかし!
復元で大問題が発生したので、iCloudバックアップから復元をするはめに('A`)
長〜〜〜〜い時間がかかりましたが、手際が悪いのでようやく先程すべてのレストアを終えました。
体感的にもサクサクですし、何よりもSiriが楽しすぎます。
結構無茶なことをさせてみましたが、意外とこなしてくれます。
読み方が変わった苗字の人へ電話させようとするとその通りには発音してくれませんが、きちんと電話してくれましたしアプリの起動もやってくれます。
天気もバッチリです。
でも時間は教えてくれないのはなぜでしょう?
総じて十分満足しています。
これで後5年は戦える!
2012.04.14 Saturday
珈琲の美味しさを知った!

Amazonで購入したKalita 電動コーヒーミル CM-50 (ホワイト)
が届いたので、早速豆を挽いて淹れてみた。
お作法は事前に勉強していたので困ることはなかったが、ちょっとCM-50の操作が上手に出来ず豆の挽きがむむむ?という感じだった。
でも、使った豆がマンデリンのフレンチローストだったので結果として中粗挽きの状態が良かったのかとても美味しく淹れられた。
教科書にも「フレンチプレスは中粗挽きで」と書いてあった。
オイルが浮いたペーパーよりも若干薄めの色合いの一杯を飲む。
「うまい!」
この一言に尽きる。
とろりとしたクリーミーさが舌に残って、嫌味な苦さはなく珈琲の酸とコクの旨みがしっかり出ていて至高の一杯。
もちろん店で飲むの珈琲には及ばないけど、凡百の喫茶店で飲むよりは美味しく淹れられた気がした。
「豆が良くて」、「湯の温度が適切で」、「抽出4分」の3つのルールを守れば誰でも美味しくコーヒーが淹れられる。
もちろんペーパードリップも誰でも作法を守れば美味しく淹れられるのだけれど、それよりも敷居が低いと思う。
思わず二杯も飲んでしまった。
しばらくは美味しさの余韻に浸ってしまえるほどだったよw
良いコーヒーはワインに例えられるけれどもあながち間違いじゃない。
下戸な僕はワインの代わりに珈琲の美味さを語れるようになりたい。
2012.04.14 Saturday
集中力
姪っ子がiPhoneのAngryBirdsに夢中になっていますが、スコアを見てびっくりしました。
僕よりはるかに先に進んでいるし、的確です。
プレイを見ていましたが、迷いがないのです。
とにかく鳥を飛ばしまくる。
その結果は、悪いところもあるけど気にせず飛ばしまくる。
その集中力は子供特有だからとも言えますが、大人の我々も見習うところは多いような気がします。
書道の大家や、将棋、囲碁、アスリートの方々は集中と弛緩を繰り返しているといいます。
いざ事に臨むときはぎゅっと集中してその事しか頭に無いようにする。
書道なら筆と紙に、囲碁将棋なら盤面に、アスリートなら競技そのものに集中するのです。
その結果、素晴らしい結果が生まれたり、生まれなかったりですが案外本人達は気にしません。
僕はこれが「集中と弛緩」の弛緩の部分に当たると考えています。
弛緩といってもダレるというわけではなく、冷静に結果を受け止めて次回に活かす余地がある状態です。
仏道的には集中するという意味合いでは「禅定する」という意味合いで使われ、坐禅なんかでは理想の境地とされています。
僕達も一つのことにギュッと禅定すると見えてくるものがありますし、禅定から外れると客観的になるような気がします。
「禅定と非禅定」と言いましょうか、日常的にこのリズムが自分のものになるのが仏道の修行です。
親鸞聖人や法然上人が唱えた「聖でもあり俗でもあり」というのはこういうことではないでしょうか?
即ち、仏の教えが構えなくても自然に体と心が動くようにせよという事ではないかなと僕は考えます。
僕よりはるかに先に進んでいるし、的確です。
プレイを見ていましたが、迷いがないのです。
とにかく鳥を飛ばしまくる。
その結果は、悪いところもあるけど気にせず飛ばしまくる。
その集中力は子供特有だからとも言えますが、大人の我々も見習うところは多いような気がします。
書道の大家や、将棋、囲碁、アスリートの方々は集中と弛緩を繰り返しているといいます。
いざ事に臨むときはぎゅっと集中してその事しか頭に無いようにする。
書道なら筆と紙に、囲碁将棋なら盤面に、アスリートなら競技そのものに集中するのです。
その結果、素晴らしい結果が生まれたり、生まれなかったりですが案外本人達は気にしません。
僕はこれが「集中と弛緩」の弛緩の部分に当たると考えています。
弛緩といってもダレるというわけではなく、冷静に結果を受け止めて次回に活かす余地がある状態です。
仏道的には集中するという意味合いでは「禅定する」という意味合いで使われ、坐禅なんかでは理想の境地とされています。
僕達も一つのことにギュッと禅定すると見えてくるものがありますし、禅定から外れると客観的になるような気がします。
「禅定と非禅定」と言いましょうか、日常的にこのリズムが自分のものになるのが仏道の修行です。
親鸞聖人や法然上人が唱えた「聖でもあり俗でもあり」というのはこういうことではないでしょうか?
即ち、仏の教えが構えなくても自然に体と心が動くようにせよという事ではないかなと僕は考えます。















